「渡辺式」家族看護アセスメント/支援モデルの歴史:それは困りごと相談から始まった

研究会設立の経緯

もう、20年以上も前のこと。1997年に大学教員から「家族看護研究所」を立ち上げた渡辺(裕子)は、家族へのかかわり方に悩むナースたちから、相談を受ける機会が増えました。当初の私の相談を受けるスタイルは、「ものすごく困っているんです」というナースの訴えを軽く受け止め(横に置き)つつ、「で、どんな家族なの?」「家族構成は?」「年齢は?」「家族の日常生活は?」「役割分担は?」「コミュニケーションは?」と次々に質問を繰り返すようなやり方だったと思います。ところが、目の前で家族との関わりに困っているナースは、ほとんどの質問に、「・・・」と首をひねるばかり。尋ねることによって、困っているナースをますます困らせ、窮地に追いやるようなありさまでした。 「これじゃダメだなあ・・」とつくづく感じた私は、「どんな家族か」に焦点を当てずに、「何が起きているのか」に焦点を当てることにしました。すると、首をひねって沈黙していたナースが、生き生きと雄弁に語り始めるではありませんか。それはもう、あっけにとられるくらい。まずは、ナースの困りごとに耳を傾け、しっかり受け止め、その「大変さ」や「迷い」を共有するように努めました。それからやおら、「で、このお母さんは・・」と個々の家族成員に目を向け、「そもそもこの家族は」と家族全体に視線を誘い、結局私たちナースは家族にどんな影響を与えているのだろうかとナース自身を分析し、困っていることの全体像をナースとともに描いていく、そんな方法に変化していきました。そしてこれこそが、ナースに多くの気づきを与え、ナースをエンパワメントしていくことに気づいたのです。

そして2002年に家族看護研究所から家族ケア研究所へと名称を変更した後は、「月刊家族ケア」という雑誌を毎月発行し、ナースから相談を受けた事例の分析を掲載。そして分析の思考プロセスを「渡辺式家族アセスメントモデル」と名づけ、書籍や雑誌で紹介しました。さらに、セミナーを開催し、全国のナースに届ける活動を重ねました。 この「月刊家族ケア」を第1号から熟読し、その分析方法を「わ〜おもしろい」と新潟の地で密かにやっていたのが柳原(清子)です。当時大学で「ターミナルケア研究会」をやっていたのですが、この小冊子を片手に、「この方法は事例が切れる。看護師が浮かび上がる」と直感し夢中でやっていました。 そして2008年に東海大学大学院の家族支援専門看護師(以下:家族CNS)養成の教員になり、渡辺と出会いました。この間の約5〜6年、柳原は「渡辺式家族アセスメントモデル」に熱を入れながら、渡辺に会いに行くことなく過ごしていました。このスピードの時代に冊子を読むだけという、今思えば首をひねりたくなる不思議な関係でした…(笑い)。

つながっていく仲間たち

渡辺は家族ケア研究所で、2005年から渡辺式家族アセスメントモデルを用いた事例検討会のファシリテーターの養成を始めました。2012年まで118名の方が修了され、15名の認定者を輩出しました。その後、家族ケア研究所は2018年まで活動を休止。6年あまりの歳月を経て、2018年に、修了生有志が再会を果たしました。 この再会でいっそう強くなったつながりをぜひ生かしたいと考えた渡辺は、交流会「ケアケアの会」を発案し、それが「渡辺式」家族看護研究会の設立につながりました。

一方柳原は、2008年より大学院「家族CNSコース」の人たちと「家族看護研究会」を公開方式でやり、渡辺式家族アセスメントモデルを用いた事例検討会を行っていきました。ここでは、現場の困った事例を取り上げアセスメントして解決法を皆で考えることとし、家族CNSメンバーとは「効果的なファシリテート法とは…」を検討しました。事例検討会は、集団コンサルテーションの場だと位置づけたからです。 こうしたつながった仲間たちによって、「渡辺式」家族看護研究会は組織され運営されていきます。